ウクライナ停戦・和平の論点
ウクライナ停戦・和平の論点 (4)

領土の「譲歩」とは何か

執筆者:鶴岡路人 2025年5月28日
エリア: ヨーロッパ
ウクライナにとって施政権を行使できない現実と、政治的にも法的にも領有を主張し続けることは両立する[ロシアがウクライナ東部ドネツク州に一方的に設置した「ドネツク人民共和国(DPR)」で、全長200メートルに及ぶDPR旗を広げたロシア政権与党「統一ロシア」の青年組織「若き親衛隊」の活動家たち=2025年5月10日](C)EPA=時事
ウクライナ停戦における領土に関する議論では「法的(de jure)」と「事実上(de facto)」の区別が鍵になる。ウクライナがロシアによる占領地を法的にロシア領と認めれば、それ以降はロシアによる「不法占拠」の主張ができなくなり、第三国にとっても、領土問題に関する限り対ロシア制裁の根拠が消滅する。他方、現実を事実上受け入れるだけなら、日本にとっての北方領土と同様に、ウクライナは被占領地を自国領だと主張し続けることになる。ウクライナが想定する領土の「譲歩」は、この事実上の受け入れだ。トランプ政権はロシアに対し、クリミアがロシア領だと「法的にも承認する」と提案したと伝えられたが、その承認は中国など「力による現状変更」の機会を窺う他国への青信号にもなりかねない。

 ウクライナの停戦・和平に向けたプロセスには、これまでのところほとんど進展がない。ロシアに停戦意思がないという、当初から大方の専門家が指摘してきたことを、ドナルド・トランプ大統領が認識して振り出しに戻ったということだとしたら、この数カ月は無駄だったのだろうか。

 ただし、停戦議論がさまざまになされるなかで、具体的な課題もより明確になった。たとえば、最終的にロシアとウクライナが何らかの妥結を目指す場合、領土をめぐる問題を避けてとおることはできない。そして、ウクライナが領土に関して「譲歩」を迫られるのも不可避だ。武力によってロシア軍をウクライナから完全に追い出すことが、現実的に困難だからである。

 ただし、関連する議論のなかでは、領土に関する譲歩という言葉がひとり歩きしたり、誤解やすれ違いを招くことも少なくない。それは、領土の譲歩といったときに意味するものが不明確であり、人によって想定するものが異なるからだといえる。

 例えば、トランプ政権が、「ウクライナは領土の譲歩が必要だ」と述べるのに対して、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「ウクライナ領土をロシア領だと認めることはありえない」という。真っ向から対立しているように聞こえるが、実際は、本質的な齟齬はないかもしれない。ロシア領だと法的に認めることはなくても、当面の現実を事実上受け入れることも譲歩だといえるからである。

 以下、連載(4)では、停戦や和平に関して焦点となる領土を取り上げ、何が課題となり、どのような対応策が考えられるについて分析したい。

領土議論の対象としてのクリミアと東部・南部4州

 2022年2月24日のロシアによるウクライナ全面侵攻の開始以降、ロシア軍によるウクライナの占領面積は変化しているが、1991年の独立時に国際法上認められたウクライナ領土の一部をロシアが占領し続けていることには変わりがない。原則論として、ウクライナはロシア軍の完全撤退を求め続けるだろうが、2023年のいわゆる反転攻勢が失敗したあと、軍事手段による領土奪還は頓挫している現実がある。ゼレンスキー政権は交渉による領土奪還を訴えているものの、ロシア相手にそれが可能だと考えるほどナイーブなわけはない。

 2025年3月11日に、閣僚級の米国・ウクライナ協議がサウジアラビアで開催され、ウクライナが30日間の無条件停戦というトランプ政権の提案を受け入れる意向を表明したことは、ロシアによる占領地が当面そのまま残る現実を認めたものといえた。というのも、停戦の場合、その時点での戦線が固定化されるのが通例だからである。

 それゆえ、領土奪還という目標をかかげ、反転攻勢の成功に注力していた時期、ウクライナは停戦提案に抵抗していた。しかし、2023年の反転攻勢の失敗を受けて、ゼレンスキー政権の立場は徐々に変化してきたといえる。2024年11月の米FOXニュースとのインタビューでゼレンスキーは、ロシアに占領されている領土について「法的に認めるわけにはいかない」と、「法的」という部分を強調していた。法的にではなければ、現状を認める余地があるとも解釈可能な発言だった。

 領土の扱いに関する課題をより具体的に考えると、やはり、どこが対象になるのかが問われる。2014年3月に一方的かつ違法に併合されたクリミアと、2022年からの全面侵攻後にロシアが一方的に「併合なるもの」を宣言した東部・南部4州(ドネツク、ルハンシク、ザポリージャ、ヘルソン)の扱いは異なるのだろうか。

 ロシアによるクリミア併合を認め、ロシア領だと承認している国は、ロシア以外ではわずかである。国際法的な扱いについては不明確なところもあるが、事実上の立場を含めて、承認しているとみられるのは、ベラルーシ、北朝鮮、シリア、ニカラグア、ヴェネズエラなどにとどまる。日本も参加するG7は、「クリミアはウクライナである(Crimea is Ukraine)」と発信し続けてきた。日本政府も当然のことながらロシアによる併合を認めない立場である。

 そうしたなかで、2025年1月に発足したトランプ政権は、ロシアとのウクライナ停戦交渉を進めるために、4月に入って、クリミアがロシア領であることを法的にも承認するという提案をおこなったと報じられた。ロシアの強い要求を受けてのものだったのか、米国による独自の発案だったかは不明である。ただし、ウクライナ(および他の関係国)にも同様の措置を求めるのではなく、米国が独自に承認するということだとされた。

「譲歩」が意味するもの、しないもの

 加えて、米国としても、ロシア領だとの法的(de jure)な承認の対象となるのはクリミアのみであり、東部・南部4州については、現状を事実上(de facto)受け入れるものとされた。クリミアと東部・南部4州の扱いが異なる点は興味深いが、その理由は示されていない。

 鍵となるのは、「法的」と「事実上」の区別である。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
鶴岡路人(つるおかみちと) 慶應義塾大学総合政策学部教授、戦略構想センター・副センター長 1975年東京生まれ。専門は現代欧州政治、国際安全保障など。慶應義塾大学法学部卒業後、同大学院法学研究科、米ジョージタウン大学を経て、英ロンドン大学キングス・カレッジで博士号取得(PhD in War Studies)。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、米ジャーマン・マーシャル基金(GMF)研究員、防衛省防衛研究所主任研究官、防衛省防衛政策局国際政策課部員、英王立防衛・安全保障研究所(RUSI)訪問研究員などを歴任。著書に『EU離脱――イギリスとヨーロッパの地殻変動』(ちくま新書、2020年)、『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書、2023年)、『模索するNATO 米欧同盟の実像 』(千倉書房、2024年)、『はじめての戦争と平和』(ちくまプリマ―新書、2024年)など。
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